昭和33年4月、それまで千葉大学文理学部内にあった本学医学・歯学進学課程が、国府台分校として独立するに伴って、東京医科歯科大学附属図書館分館が国府台地区に設立されることになった。 建物は旧陸軍兵舎を改造した木造2階建120坪。2階が学生の閲覧室で68席であった。初代分館長は小出直三郎教授、設立に際して受け入れた図書は6,302冊で、増加図書目録第一号が昭和33年12月に出されている。これ以後毎年約2,000冊ずつ図書は受け入れられ、またほぼ毎年増加図書目録が発行されていた。(1993年で増加図書目録は終了) 昭和37年6月、附属図書館国府台分館図書委員会規定が制定され、分館長を図書委員長として教官から選出された図書委員とともに、分館の運営に当たることになった。 また昭和39年4月、文部省令により附属図書館分館は正式に「国府台分館」と呼ばれることになった。(それまでも略称としてはこの名が使われていた。) 昭和42年に指定図書制度がつくられ、文部省から特別予算がつくことになった。このため昭和42~44年の間に計1,644冊の指定図書が受け入れられた。この制度により、参考書、実験指導書など複数冊そろえられた図書は、学生の学習用に広く役立った。またこのころ、学生自治会の中で選出された学生図書委員から開架式にしてほしいと要望があり、辞書等の一部開架が実施されることになった。 昭和40年4月、国府台分校は教養部として設置し直されることになり、それに伴って従来から老朽化して危険建物として指定されていた分館の新築が問題にされるようになってきた。図書委員会と図書館事務職員とは、建物の設計、事務職員の増員など、研究討議を行い、大学への申入れなども行った。 昭和44年は全国的に大学紛争の年であったが、本学でもしばしば学生ストライキが行われ、教養部では9月半ばから約2ヵ月ストライキのため授業は行われなかったが、図書館は開館を続けた。 昭和45年1月、新築の国府台分館がしゅん工した。鉄筋コンクリート2階建て、総延面積1,033㎡[ 書庫468㎡(収納可能図書約8万冊)、閲覧室280㎡(123席)、事務室90㎡、その他195㎡ ]である。3月に移替作業が終わり、4月から開館した。このときから全面開架になり現在に至っている。新築準備期の分館長は篠原武夫教授、開館時の分館長は堀内秀晃助教授であった。 昭和46年3月より、毎年1回「教養部研究紀要」を発行。 昭和48年3月に2,3層の書庫の施設が完成した。
平成26年6月に老朽化に伴い館内の改修工事を行い、現在に至る。
令和6年(2024年)10月より「東京科学大学・国府台図書館」と名称が改められた。
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